「読者という荒野」を読んで私が特に共感した部分をご紹介します。引用が入りますので、無の状態で本を読まれたい方、下記の紹介だけで留めてください。
人間は途方もなく多様な存在で、自分では想像もできないような考えを持つ他者がいること
私からすると見城さんも化け物(よい意味で)ですが、この本では登場する作家のみなさんは、もっととんでもない化け物揃いです。見城さんは、作家になりたかったそうですが、圧倒的な才能をもつ作家に関わることで、自分は凡人と気づき作家への道を諦めたようです。そして天才作家の才能をさらに引き出す側、世の中に広める側に回る編集者の道を選びました。
読書で学べることに比べたら、一人の人間が一生で経験することなど高が知れている
僕は、読書の効力として「自分以外の人生を体験する」点を挙げている。まぎれもなく大江の読書体験は、僕の戦争前後の正解へと引き入れ、新たな価値観を植え付けた。
自分自身の経験が一番大事ですが、その経験だけだと時間が圧倒的に足りません。また、戦時中や差別、貧富層、富裕層のような自分とは全く異なる環境は、どうしても自分自身で経験できません。読書は、自分一人では絶対に経験できない事を、本を通じて自分の経験にできる唯一のツールです。このような読書の大切さを見城さんがいろんな角度でご説明されています。
「たくさん読むことがいいことだ」という風潮にも異を唱えたい。情報の断片を重ねるより、そこから何を感じたほうが重要だ。情報の断片は、検索すれば簡単に手にはいるのではないか。「年間500冊本を読んだ)という類の話は本当にくだらない。クイズ王を目指すのでもあるましし....
見城さんが私に言っている言葉です。たくさん読む事よりも、そこから何を感じて思考の軸とし、そして実践、行動に移す事が大事とこの本で熱く語られています。
最近、読む冊数や習慣化を優先し、本当の意味の読書ができていなかった部分があったので、大反省。。
僕は担任教師によって「本当に駄目なやつ」というレッテルを貼られた。佐々木先生もすでに故人になった。だがこの時の悔しさは、いまだにどうしても消えない。
見城さんは、小学生の時一人の担任の先生に嫌われた。それも相当酷く。それが友達にも波及しイジメが始まり、中学終わりまで続いた。相当辛かったと思います。私は運よく先生に恵まれイジメに加担する先生など見たことがありません。しかし、ニュースで知るイジメや自殺で先生が加担しているケースは結構多いです。教職者も人間だから仕方のない部分もありますが、イジメの初期の段階で助けてあげられるのは教師です。
僕は鉄パイプを鞄から出して握りしめ「俺は本気だ。死んでもいい。やるか!」と言って、やつらのほうに突き出した。彼ら一瞬ひるみ、そして逃げていった。
見城さんは、死を覚悟していじめっ子に挑んだようです。そしてイジメを自ら解決しました。この時に「人間、死を覚悟して決めなくてはいけない事がある」と学ばれたようです。自分自身の人生を振り返り死を覚悟して挑んだことなど何一つありません。ビジネスでもそう、死を覚悟したことなんてありません。見城さんは、その後の人生も死を覚悟していろんな事に挑戦されています。この覚悟の差が、凡人と狂気の世界で生きる人たちの差かも知れません。
現実世界では疎外感や孤独を抱えていた。だからこそ猛烈な量を読んだ。読書している限り、そこは自分だけの世界である。誰かにいじめられることもない。
自分の偏差値で楽に入れる高校へ行ったので、成績がトップクラスになった。このような条件が揃ったせいか、自然と自分に自信が持てるようになり、僕はやがてクラスのリーダー的存在になっていた。
見城さんは、小学生、中学生とイジメられた。イジメられる世界から逃げるように猛烈に読書した。もしイジメもなくすくすく育っていたら今の見城さんもいないし、幻冬舎もなかったかも知れません。とても感慨深いです。そして、見城さんのスター街道は高校生から始まります。このあたりは読んでいてとても気持ちいいし、その後の人生も入れると間違いなく映画化できます。
たとえ30分でも僕と会った人には「見城さんって何度でも会いたくなる面白い人だね」と言われなければ絶対に嫌なのだ。
これも私の反省事項。初対面の人に会って良かったと思わせる態度や言動を全くしていません。自分にもう一度会いたいと思わせる気持ちを持たなければいけないですね。
今後、心がけたいと思います。
本とは、単なる情報の羅列ではない。自分の弱さを思い知らせれ、同時に自分を鼓舞する、現実を戦う為の武器なのだ。
読書は、自分の弱さ、甘さ、自惚れなどをいつも気づかしてくれます。
そして明日に向かう勇気もくれます。本は現実を戦うための武器、私のこころに響きました。
僕は常々言っているのだが、感想こそ人間関係の最初の一歩である。結局、相手と関係を切り結ぼうと思ったら、その人のやっている仕事に対して、感想を言わなければ駄目なのだ。
25通目の手紙を書いたあと、ついに五木さんに会えることになった。場所はホテルオークラのロビー。
この言葉からも多くの気づきがありました。人がやってくれた事への感想は大事です。
人への感想は、思っていても、つい面倒くさくなり、言葉として言えない事が多いです。また、人間関係を構築する為に猛烈に一方的にPUSHすることなど私には出来ません。五木さんを口説き落とす執念には、見城さんの凄まじい気迫を感じました。
天才が天才になりきって書くのだから、あのタイトル以外にあり得なかったのである。
この本を本屋で見た時は、衝撃でした。「天才」というタイトルにインパクトがありすぎですが、田中角栄、石原慎太郎という2人の「天才」が絡む本なので妙に納得した記憶があります。このタイトルでなければ、ここまでの大ヒット作にはならなかったかもしれません。
その一人一人に僕は「これを書いてください」というキラーカードをいつも3枚ずつもっていようと努力している。
作家が一番書きたくないテーマを書かせるのが編集者の力ですね。
表現とは結局自己救済なのだから、自己救済の必要がない中途半端に生きている人の元には優れた表現は生まれない。ミドルは何も生み出さない。想像力は、圧倒的に持つ者と圧倒的に持たざる者の頭のなかにこそ生まれるのである。
人間は、「極」をどれだけ経験したかで、度量が決まる。真ん中を歩いている人からは何も生まれてこない。
本来はあふれ出る情念と向き合いながら、血反吐を吐く思いで書いたものが、人の心を打つ文字となりうる。そして書かれていない作品は、ほとんどが偽物なのだ。
尾崎豊、五木宏之、吉本隆明など、この本に登場する作家たちは、全員極端です。
どのように生きればそのような思考が生まれるのか、私のような凡人にはわかりません。ただ一つだけ言えるのは「極端」「極」にいる一部の人間のみ、世の中を変える作品を生み出す事ができるのでしょう。
あれは僕にとって唯一無二の体験で「物事は徹底的にやり切らなければ見えない世界がある」と感じる出来事だった。
読書し尽くす、飲み尽くす、お金を使い尽くす。動きが極端であればあるほど、官能がうまれ、文学的なメッセージを帯びる。狂ってこそ初めてわかることがある。
飲み尽くす、お金を使い尽くすという点からは、最近避けていました。
一言でいうと、守りに入っていたと言うこと。
3人のスーパースターと3人のきらめく新人をつかむこと。プロデューサー編集者ならそこに全力を尽くすべきである。
これは他の業界でも当てはまりますね。トップ企業と勢いのある企業を抑えればあとは、自然と集まります。この部分は、業界が違っても同じであることがわかりました。
読書、旅、恋愛。この3つをやりきることで、人生を豊かにいきることができる。
旅とは「貨幣と言語が通用しない場所に行くこと」だ。
旅と同じぐらい人間を成長させるのが恋愛だ。恋愛ほど、他者への想像力を磨くものはない。
とても共感。今の日本人は、どれも消極的になっていると感じる。
テクノロジーが発達した現代でも、本というローテクなものの価値は失われていない。生きている間は、毎日生き切り、死後は風や波になりたいと本気で思っている。
スマホ時代になっても紙から画面になっているだけ。本の価値は全く失われていない。
この本を読んで、無意味なスマホアプリを消しました。Kindle、電話、メールができればスマホは十分。あとの操作は、時間の無駄。
夢や希望や成功という言葉を使えるだけ、自分は考え抜いているのか。そのことを問い直し、もし考えて抜いていないと思ったら、思考する言葉を手に入れてほしい。それは読書を通じて手に入れるはずだ。読書とは自己検証、自己嫌悪、自己否定を経て、究極の自己肯定へと至る。最も重要な武器なのである。生きていくということは矛盾や葛藤を抱えて、それをどうにかしてねじ伏せるということだ。
はい。たくさんの教え、ありがとうございます。
この読書道をしっかり進みます。
それでは
ぐっさん。
※本書の中で紹介された本のリンクを下記に貼りました。(自分用)

- 作者: アニーエルノー,Annie Ernaux,堀茂樹
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2002/07
- メディア: 文庫
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